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内容は、掲載当時(1992年)のものであり、現在の状況とは異なる場合もありますので、あらかじめご了承ください。

・上田誠仁、山本利春:選手として、指導者としての「箱根」,月刊トレーニング・ジャーナル, 14(5):18‐22,1992.

対談・現場的好奇心 7

選手として、指導者としての「箱根」

ゲスト/上田誠仁(山梨学院大学陸上競技部監督)
聞き手/山本利春(国際武道大学体育学部助手)

大学陸上競技界では全く無名だった山梨学院大学が、箱根駅伝に参加してからわずか7年目で、とうとう優勝してしまった。チームを結成時から率いてきたのは、順天堂大学時代に自らも二度の優勝経験を持つ上田誠仁監督。上田氏の後輩として当時同じチームに所属していた山本氏との対談は、2人にとって忘れることのできない出来事の回想から始まります。

うえだ・まさひと
1959年、香川県生まれ。中学から陸上競技を始め、尽誠学園高校、順天堂大学を通じて長距離ランナーとして活躍。箱根駅伝は第55・57回大会に優勝。卒業後、中学・高校教諭を経て1985年4月から山梨学院大学陸上競技部監督。同大学一般教育部専任講師。

やまもと・としはる
1961年生まれ。順天堂大学体育学部卒業、同大学大学院修士課程修了。現在、国際武道大学体育学部助手(スポーツ医学)。自身、トレーナーとして活動するほか、トレーナー的な知識・技術の普及に努めている。


1992年2月6日、東京・京王プラザホテルにて収録。

〔対談を始める前に〕

 7年前、地元での体育教員生活を辞め、箱根駅伝のチームづくりのために山梨学院大学に赴任した上田氏。上田氏の率いる同チームのあまりに急速な成長ぶりと伝統校を押し退けての優勝を、ケニアからの留学生の活躍であると評価する人もいる。しかし決してそれだけが躍進の理由だとは思えない。勝つためのチームづくりとコンディショニング法に様々な苦心や工夫が必ずあったはずである。とりわけ理論家で努力家であった学生時代の上田氏を知っているだけに、「箱根」の勝利に隠された背景を聞いてみたい(山本)。

箱根駅伝直前のケガ

上田:山本君で思い出すのは、僕が大学(順天堂大学)4年のとき、バケツを持って走って来てくれた。あれがなかったら走れていたかどうか…。

山本:僕が2年のときですね。上田さんが4年で、駅伝チームのキャプテンをしていた。ケガをしたのは箱根駅伝の2週間くらい前でしたか。

上田:もうちょっと前、1カ月ほど前です。雨の日に自転車に追突されて、足首を捻挫した。「バキッ」と音がしてこれはやばいなと思って、取りあえず寮に飛び込んで山本君を呼んだ。その頃、もうトレーナー的なことをやっていたから。

山本:ちょうど始めた年です。僕が2年生になったとき陸上競技部にトレーナーのシステムができた。

上田:ICEDというのが紹介されて、うん、そういうのがあるのかと言っていた時代ですから、「氷とバケツを持って来てくれ」と叫んで、アイシングをやって、圧迫して、挙上して、という一連の処置をした。
 結構ひどい捻挫で松葉杖を使っていたんですが、その日のうちから筋トレを始めて、運動生理学研究室のエルゴメータを借りて毎日こぐようになった。最初は痛くてこげないので、痛くないようにテーピングをしてもらってこいで、そのあとまたすぐアイシングをしてというようにトレーニングを進めていった。最後の年だったから、試合に出ることに貪欲だった。ここまできて諦めるわけにはいかない、という気持ちがすごくあって、とにかく自分の身体を動かしていないと落ち着かない。
 心肺機能は刺激を加えていかないと、すぐ下降線を辿る。それを防ぐには何が一番いいかと考えたときに、実習等で経験していたので「エルゴメータしかない」ということになった。例えば1000mを10本走るんだったらこのくらいの心拍数でやっているんだろうなという予想を自分で立てて、それと同じようにエルゴメータでインターバルをやろう、距離走をやろうという具合にやった。あと、全体のバランスは水泳をやればいい。動けるようになれば、プールの中でおもりをつけた状態で歩いたりもした。今で言うウォータートレーニングですね。

山本:もう10年以上も前ですね。でも、その頃すでに、上田さんは今盛んに言われている「リコンディショニング」を実践していた。単に受傷部位の治療だけでなく、駅伝に出場するという前提で、心肺機能を落とさないために努力をしていましたね。そうした経験が、今の指導にすこく活きているのではないかと思うんですが。

上田:そうですね。それはすこくある。その頃必死になって詰め込んだものが役立っているし、興味がありますから、その後も専門誌や研究報告にも目を通して、トレーニングを多面的に捉えるようにしている。
 今、うちのチームには寮が2カ所あるのですが、エルゴメータは2台ずつ置いているし、選手が通学に使っているマウンテンバイクで時々山に登ったり、ということもしています。

山本:ケガをしてやむなくいろいろ勉強しながら行った上田さんのリコンディショニングが功を奏して、最終的には箱根を登りきって優勝につながった。あの年優勝したんですよね。

上田:はい。

山本:僕自身もトレーナーとして駆け出しでしたが、毎日のように朝練習前と午後の練習前に上田さんテーピングをしたことを覚えています。あの当時上田さんとつきあっていてすごく刺激がありました。というのは、寮の上田さんの部屋に行ったときのことを思い出すのですが、自分のケガについてノート一杯にまとめてあったのを見せてもらった。「これはトレーナーなんかよりずーっと勉強しているな」と思って、とても恥ずかしくなった。僕もやらなければと、改めて勉強し直したことをよく覚えています。また食事に関しても、カロリー計算はしっかりやるし、貧血対策のための増血剤だとか、ビタミン類などの瓶がずらりと並んでいるのを見てたまげた。僕にとってはすこく刺激的で、箱根までとことんつきあってみようと思いました。
 やっと走れるようになって、朝練に間に合うように毎日テーピングをしましたよね。毎朝5時半に起きて寮の部屋を暖め、上田さんが来るのを待ちましたが、今思うとあのときの経験が、トレーナー1年目の僕にとって非常にいい刺激になった。

ハンカチとアイロン

TJ:今回の箱根駅伝優勝に話を移しますが、以前にインタビューさせていただいたとき(1991年3月号)に、山梨学院というチームは実にいろいろな人に支えられて強くなったという印象を受けました。そうしたスタッフの力を生かすも殺すも監督の器量次第だと思いますが、上田監督はどのように考えてチームのマネジメントをやってこられたのですか。

上田:洗いざらしのハンカチにアイロンかけるとしますね。そのハンカチをチームにたとえると、まず土台がガタガタしていると、いくら高性能のアイロンを持っていてもうまくかからない。ですから監督はその台をまず整備しなければならない。それから監督はアイロンを片手に持っている立場です。さあ皺(しわ)を伸ばそうかなというときに、いろんな人に四方八方から引っ張ってもらわなくてはならない。例えば学生のマネージャーだったり、部長や顧問、あるいはドクター、栄養の指導をしてくれる人…。それは数が多いほどきれいにアイロンがかかります。でもみんなが同じような張力で引っ張っていてくれればいいが、どこかに偏ってしまうとうまくいかない。その調整をうまくやりながら、自分は一番理想的な温度で準備しておく。それが監督の役割だ思っています。

山本:熱が入りすぎたら焦げてしまう(笑)。

上田:反対に、温度が足りないといつまでもたっても伸びない。今回の優勝を振り返ってみると、みんなの手が有効に、しかも、温かく引っ張ってくれていたなあとつくづく感じます。優勝するとアイロンを持つ人がどうしても目立ってしまうが、やはりハンカチを持ってくれた手の数を見落としてはいけないなと思いますし、1回勝ったからといって有頂天になっていてはいけない。次の2枚目のハンカチにアイロンをかけて下さいと言われたときに、コンセントが外れていた、調整ミスでまだ熱くなっていないなどということになると、「じゃあ俺はハンカチを引っ張るのをやめた」という人が出てくるかもしれない。だから、勝った今こそ、アイロンの温度を調整し、もう一度ボルテージを高めたい、という気持ちがあります。

チームをまとめる方法

山本:いろんなチームの監督と話をしますが、そういうときよく聞くのは、ひたむきな気持ちを持ってみんなで勝ちに行くんだというチーム作りをしたいと心の中で思っていて、それを選手に投げかけても、なかなか心が一つになれない。例えば苦しさのあまり、どうやってさぼろうかと考える選手が出てきたり、あるいはケガをすることによっていわゆるバーンアウト的な形で目標を失ってしまうという選手が非常に増えてきて、うまく方向づけができないという悩みをあちこちで聞きます。でも、そうした目標統合が上田さんはうまい…。

上田:自分自身満足している状況ではないですから、まだまだ個々を見ていくと「なんだ、お前」と言いたくなるような選手は当然います。悪い面ばかり見ていくと駄目だし、かといっていいところだけ見て悪いほうに蓋をしてもよくない。やはりチーム作りをしていく中で、見えないところでいろいろな問題は生じますが、それを消化できる体制をどうつくるかということが大事なんだと思います。自分が言ったことをそのままみんながやってくれれば、こんな楽な仕事はない。でも実際はそうじゃないですから、チームの目標を統合するためにいろいろな人の手助けがいる。
 うちの場合は、僕は鍋の中身が煮詰まるのを見ているだけで、その鍋を外側からがっしり抱えていてくれる部長がいます。彼は僕よりちょっと上の年齢で、毎朝、朝練に出てきてくれ、コーチ以上の仕事をしてくれています。さらに顧問として秋山という人がいます。この人がもっと大きな観点で、つまりどういう所に鍋を置いているのだという立場で選手に接してくれる。だから選手にとってはいくつかの違った立場でものを言ってくれる人がいるし、僕にとってもよい相談相手がいることになる。部長とは毎朝チームの状態について話をするし、夜になれば顧問と話をする。そんなふうに毎日フィードバックの繰り返しをやっているので心強いですね。自分一人でチームの切り盛りをしてまとめていくことはできません。
 さっきのアイロンの話に戻りますが、自分がどんなふうなアイロンでいられるかとか、引っ張ってくれる手の数を見誤らない状態でいられるかということがすごく大事で、それがうまくできて今回はいい結果に結びついたと思っています。

専門家によるサポートも

山本:学外のスタッフとしては、どんな人がいるのですか。

上田:順天堂の医学部を卒業したスポーツドクターが大学のすぐ裏で開業されているので、僕が赴任したときからコンビを組んで、年間を通して選手のコンディションをチェックしています。今回も選手の動きがよく、いい仕上がりだなと思って練習を見ていたんですが、それを証明するものとしてドクターから数字が示され、安心しました。
 故障上がりの選手に対しても回復状態が数字で出てくれば、レースでの起用にメドがつく。自信を持ってレースに送り出せます。

山本:チェックするのは血液性状や呼吸機能など?

上田:そうです。あと筋力トレーニングは、大学の同期生で三重県にいる石谷君(注/石谷幸久氏。三重県立桑名北高校教諭)に助けてもらった。

山本:最近までトレーニング・ジャーナルで連載していましたね。

上田:去年のある大会で彼にばったり出会い、いろいろ話をするなかで、長距離では足りない面が見えてきて、僕もやっていないことがあるということに気づき、ちょっと何か作ってくれよと頼んで、何週間かのプログラムを作ってもらった。彼のものを含めて、今いろいろ試しているところです。

山本:長距離選手も筋力トレーニングが必要だと言い始める人が結構増えてきましたよね。

上田:走る距離を増やすとか、トレーニングの質を上げるというのは、段階的に行っても、やはりどこかで無埋がきます。そこまでの体力がついてからそれをやりましょうではなくて、より高度なトレーニングができる体力やイメージ作りなど、いろんなことを先駆けてやっていないと駄目だと思う。力がついてきたからこのペースでやってみようかといっても、どこかで無理がくるんです。こういう動きでこの距離を走ったらやばいな、とか、この筋力の弱さではこのレベルのことをやらせるのは無理だなと察知して、先手を打っておかなければならない。

スリッパは駄目

山本:学生時代に上田さんたちが練習している風景を、トレーナーとして、あるいは同じ陸上競技部員として横目で見ていたんですが、今思うと非常に考えていたんだなあと感心することがいくつかあります。まず1つは、教室で僕らが授業を受けているときに、校舎のすぐ下のグラウンドをパッと見ると、タイムトライアルをやっている。「あれっ? 練習時間は4時からなのに」と思って見ていたが、後で長距離の選手に聞くと、レースの出走時間に合わせて走っているという。「なるほどなあ」と思いました。
 それともう1つは沢木先生(注/沢木啓祐氏。順天堂大学陸上競技部監督)が言っておられたのを覚えていますが、「お前たちは陸上の選手なんだから自転車なんかに乗らずに歩け!」と。それでその歩き方を絵に描いて確か寮の壁に貼ってありましたよね。

上田:そう。頭の上から見た図。僕は身長が低いんですが、「チビでも同じストライドで歩け」と言われました(笑)。

山本:本当に、当時からいろいろ考えたトレーニングをしていたんだなあと思います。その当事者だった上田さんですから、それこそ監督になったらあれも採用し、これも採用しという形で、いろんな新しいものを採り入れながらやっているに違いないと僕は推測していたんです。

上田:確かに学生には同じようなことを言っています。授業時間の移動で、一般の学生がとろとろ歩いているのを追い越していけ、といつも言っている。それから春は宮崎で合宿するんですが、そのときはスリッパ履きは止めさせて、「(動きづくりをやっている春の時期は特に)歩き方が命なんだからとにかくすべて靴で移動しろ」と言っています。スリッパだと足の軌跡が低いところにありますね。だから悪い癖がつく。わざわざ靴で歩くことにトレーニング効果がどれだけあるかは別として、なぜ歩き方が重要なのか、それを問いかける意味でやる。

長距離選手のコンディショニングの難しさ

TJ:陸上競技の選手、特に長距離の選手というのは人一倍自分のからだに気を配り、また競技者としての生活管理も他競技の選手と比べると行き届いているように思います。

山本:僕もそう思います。例えば増血剤ですとか、ビタミン剤などを非常に神経を使ってのむのは長距離選手が一番でしょうね。

上田:そうでしょうね。

山本:僕の知る範囲でも貧血で走れなくなった選手が何人もいますから…。

上田:矛盾する言い方になりますが、すこく細心のこと、針の穴を通すようなことが要求される一方で大胆さや、図太さも必要です。と言うのは、いくら細心にやっても完璧ということはあり得ないから。また、細心にやるのはいいのですが、神経質になるとこれは困る。俺は努力してるのだという感じよりも、その細心の部分が、当たり前でさりげないというくらいがいい。食べ物にも気をつけるというのも選手としては当然なんだから、別にストイックに「これは食べない」というのではなくて、「そんなこと当然だよ」という感覚が必要です。でないと、勝負のときに大胆にやれないでしょうね。不安なことって、日常的につきまとってきますから、神経質になっていたらもたない。体調だって目まぐるしく変わり、朝起きた感じと夕方では違いますし、いざ走り始めてみると、思ってたのと違うということもありますから。

山本:確かにすごく難しいですね。試合前の感覚と、実際に走ってみたときのコンディションのギャップを知ったのは、僕が順大チームのチーフトレーナーとして箱根駅伝に参加したとき。ある選手がレース途中で痙攣(けいれん)を起こし、途中歩き、ストレッチしながらやっとタスキを渡した。そしてゴールでその選手と顔を合わせたときに、懐に飛び込まれてワンワン泣かれた経験があった。彼にとっても、僕にとっても非常に辛い思い出なんですが、実は彼のマッサージは10日以上ずーっと毎日やってきたのだけれど、状態としては非常によかった。本人も好調を訴えていたし、脚を触っていた僕も、いい仕上がりだと思っていた。それなのに痙攣してしまった。長距離選手のコンディショニングは非常に難しいなと痛切に感じたのを覚えています。

上田:好調のときは得てしてそういうこともあるんです。自分の意識レベルの好調と、データで出てくる好調の時期がズレることがある。選手が思う好調というのは、過去の好調のことである場合が多い。つまり自分がやってきたことに対する裏付けであり、自信なのです。レース当日は自信を持って走るということなのですが、もうすでに違う状態になっていることもあります。
 好調であると感じるが故に、どこかにミスがあるかもしれない。例えばウォーミングアップでも、体調が悪ければもう少し丁寧にやっていたところを、調子がいいからといってやり残している可能性もある。

山本:レースばかりでなく、普段の練習でも選手のコンディションを正確に把握するのは非常に難しいと思います。追い込ませなければいけないのだが、追い込ませるとケガをする、あるいはオーバートレーニングになる…。本当にスレスレのところをどう見極めながらやっていくかという難しさが、特に長距離選手の指導にはあると思うのですが、その辺はどうお考えですか。

上田:それはもう、10年たっても同じことで悩んでいるのではないかというくらい、難しい部分ですね。ただ今日も話題に出た様々なことを、日常の中で達成していく努力を怠らなければ、やはり人間の能力というのはきっちり向上していくと思う。どこかに手落ちがあったり、手抜きがあったりすればそこが隙になります。負けるとすれば、レース自体に隙があるのではないと考えています。

〔対談を終えて〕

 対談に現れた上田氏は、何と髪の毛を短く刈り、坊主頭でやって釆た。箱根駅伝優勝後、考えあって刈ったそうである。ハンカチとアイロンの話にあったように、「勝った今こそアイロンの温度を調節し、もう一度ボルテージを高めたい…」という気持ちの表れであろう。

 駅伝のチームづくりはチームビルディングから始まるという上田氏の考え方は他の種目にも当てはまるものであり、選手や指導者の競技に対する高い意識レベルと環境づくりが非常に重要な要素であることを再確認した。

 駅伝競技の場合、数人の選手がコースを分担してタスキを渡してゆく。 10人の選手1人1人が努力を重ねて向上すれば、総合力として大幅な能力アップとなる。逆に1人でもブレーキを起こせば急落する。これほど極端な種目も少ない。すべての選手をいかに把握するか、また、いかに信頼するかが、指導者の永遠の課題であろう。「来年正月の箱根の勝負はもう始まっている」という上田氏の言葉は、妙に重く現実的であった(山本)。