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※ 所属・役職などは掲載時のもの。なお、連載当時(1992年)とは、現在の状況と一部異なることもありますので、あらかじめご了承おきください。

出典:小峯力,山本利春:ライフ・セービング・スピリット,Training Journal,14(8):39-44,1992.


対談・現場的好奇心

 ライフ・セービング・スピリット 

本誌連載「ライフ・セービング」を担当している日本ライフ・セービング協会の一員であり、ライフ・セービングの普及活動を積極的に進めている小峯氏が今回のゲスト。なぜライフ・セービングの普及が必要なのか?そうした根本的な疑問に答える内容です。

 ゲスト/小峯力(日本体育大学ライフ・セービング部監督)
 聞き手/山本利春(国際武道大学体育学部助手)

こみね・つとむ
1963年生まれ。日本体育大学卒業、同大学大学院修士課程終了。現在、同大学大学院助手、学友会ライフ・セービング部日本ライフ・セービング協会での役職は理事、技術局競技力向上委員会委員長、公認イグザミナー。去る6月初旬に静岡県下田市開かれた世界選手権大会ではナショナルチーム監督を務めた。

やまもと・としはる
1961年生まれ。順天堂大学体育学部卒業、同大学大学院修士課程終了。現在、国際武道大学体育学部助手。自身、トレーナーとして活動するほか、トレーナー的な知識・技術の普及に努めている。日本ライフ・セービング協会公認インストラクターの資格を持ち、国際武道大学ライフ・セービング部の監督でもある。


1992年4月18日、日本体育大学にて収録。

〔対談の前に〕

 水辺の事故に対する的確な処置、そして事故防止のための活動を、専門的な知識と技術を持って行うライフ・セービング。欧米では職業としてライフ・セービングの組織が確立されており、その社会的地位が高く認められている。
 先日、伊豆・下田で行われたライフ・セービング世界選手権大会には、世界各国のライフセーバーたちが勢ぞろいした。力強い肉体、目立たない行動ながらひたむきなボランティア精神にあふれ、信頼感は抜群、そして接するとものすごく温かい。何か不思議に人を引きつける人間性を彼らから感じるのは私だけだろうか。
 朝5時に起きて海で2時間のトレーニング。そして仕事へ。夕方仕事を終えると6時から1時間半のトレーニング。週末はライフセーバーとして海へ向かう。本場オーストラリアでは何万人という人々がこんな生活をしているという。彼らを根底で支える精神力、トレーニングヘの動機づけは、どこから来るものなのだろうか?
 「人に安心感を与えるために鍛えよ。そして強くなればなるほど人は優しくなれる」。7年前に日本体育大学でライフ・セービング部を創設し、現在約280名もの学生たちを指導する小峯力氏の言葉である。今回は小峯氏からライフ・セービングの普及とそのスピリットについてお話をしていただいた(山本)。


ライフ・セービングの基本精神

山本:ライフ・セービング活動は少しずつ知られるようになりましたが、人々の目に映るのは海水浴場での監視活動や、競技会で技を競うライフセーバーたちであったりします。そうした姿を根底で支えているのが、いわゆる「ライフ・セービング・スピリット」だと思います。先生が学生たちを指導するとき、まずこのスピリットを教えることから始められると聞いていますが、それはどのようなことなのでしょうか。

小峯:私もライフ・セービングを始めたばかりの頃は、監視員あるいは救助員くらいのイメージしか持っていなかったし、活動もできていませんでした。しかし、機会あってオーストラリアヘ行き、当地のライフ・セービングを見たとき、いわゆるスピリットというものを知ったのです。それは、ライフセーバーたちが日々鍛え、研磨していく肉体、技術のすべてが「人命を救う」という1つの目的に向けられている。人の命の尊さを本当に重視し、皆がそれを理解して活動が行われているのです。だからライフセーバーの鍛えられた肉体は人に見せるためでも、相手をやっつけるためのものでもない。人命を救うためのものなのです。また日々のトレーニングも、人命救助の能力を高めるために行っているという位置づけがしっかりあります。
 私はこの大学でライフ・セービングのクラブを作って、学生たちを指導していくにはこのスピリットが非常に大切だと思いました。と言うのは、日体大に入ってくる学生の大半は、高校卒業まで1つの競技をやってきて、できればそれを続けたいと思っている。ところがそれを敢えてやめてライフ・セービング部に入ってきてくれるにはかなりの決断が必要だと思う。その決断を大事にしてやりたいと考えるからです。
 学生が故郷に帰り、高校時代の指導者に会ったとき、「何だお前、サッカーを続けなかったのか」、「陸上競技を続けなかったのか」と残念がられるかもしれない。でもそのときに、ライフ・セービングを通じて肉体的にも精神的にも逞しくなっていれば、指導者も満足すると思います。現在、日体大ライフ・セービング部は約280名の部員が活動に励んでいますが、4年後には自信を持って故郷に帰ってほしい、という思いが私の中に強くあり、そのためにもライフ・セービング・スピリットを彼らに教えることは重要だと思っています。


大学生への指導


TJ:そうしたスピリットがより多くの人に伝わることが、真の意味での普及につながるのですね。

小峯:日体大でライフ・セービングを指導することは、普及のためにも大変都合がよいのです。この大学は教員養成を大きな柱としているので、ここの学生にスピリットを伝えていけば、それが全国に広がっていく。教員にならなくとも何らかの形でスポーツの指導に携わる卒業生が多いわけですから、彼らを通じて普及ができるのです。

山本:最近は目的意識が低く、のんべんだらりと学生生活を送る大学生が増えています。そうした中にあって、「人命を救う」という1つの目的を共有して知識を高めたり、トレーニングを行ったりする時間を過ごせれば、それはある意味で充実した学生生活が送れるのではないかと思います。事実、先生の周りいる学生に接すると、非常に目的意識の高い若者たちだなあと感じます。先生の指導方針がよく浸透しているのでしょうね。

小峯:ただ、ライフ・セービングを始めると、だんだん自分が人命救助をやっているということを人にアピールしたくなる時期が来る。そこでまた、私は「ちょっと待て」と言うんです。人を助けるとか、人のために尽くすなどということは、自慢してはいけないことだし、肉体も人に見てもらうために鍛えているわけではない。それはいつ評価されるかと言えば、例えば海水浴場でパトロールをしていて、それを見た遊泳客が「ああ、こんなに逞しい人がこの海を守っていてくれているんだ。それなら安心して泳げる」と感じてくれればそれでいい。人命救助をしていると自分からアピールする必要は全くないんです。


普及活動を始めたきっかけ


山本:ところで先生ご自身が、ライフ・セービングの普及活動を始められたきっかけになった出来事などありましたら教えて下さい。

小峯:私の小さい頃からの夢は体育の教員になることでした。大学入学後も、それまで続けていたサッカーの指導を、教員になってやりたいと思っていた。指導者になったときに何が必要かと考えると、選手がグラウンドで倒れた場合の対処、これが最優先だと思った。救急処置です。そこで早めに資格を取りたいと思い、1年生のときに日本赤十字社主催の水上安全法の講習を受けに行った。そこにたまたま先輩が来ていて、夏に実際の救助活動があるから参加してみないかと誘われたんです。それもひとつの経験だという気持ちで7〜8月にそれに参加しました。それがすべての始まりです。
 初めて参加したライフ・セービングで、もし何事も起きていなければその後普及活動に携わることもなかったでしょう。ところが、そのとき初めて「溺者」を経験したのです。最初に行方不明の連絡が入ったのが午後1時頃。中学生の男の子で、お母さんはひどく心配している。しかし、捜してみても見つからないし、溺れている様子もない。2時間、3時間と経ち、5時になると海の家が閉まり、お客さんも帰ってしまいますが、それでも見つからない。それで6時頃になって海沿いの道をジョギングしていた男性が、「あそこの波打ち際で人が倒れています」と血相を変えて飛んできた。みんなで走って行ってみると、波打ち際でうつぶせになって倒れていた。ちょっと触れられないような状態だったんですが、一生懸命、人工呼吸と心臓マッサージをした。講習会では教わったけれども、私にとってそれが初めての実際の心肺蘇生法だったのです。とても衝撃的な経験でした。
 結局その子は助からなかったんですが、遺体を見ながらいろいろなことを考えました。まだ13〜14歳のこの子が、なぜ死んでしまわなければならないのだろう。海に遊びに来ていたのに、楽しいはずの海がこの子の人生を終わらせてしまった。俺は助けるために資格を取ったはずなのに…。仕方ないと割り切ってしまえばそれまでなんですが、そのときに人の命のはかなさ、尊さというものを痛切に感じました。そしてまた、ライフ・セービングの普及がぜひ必要であるとも。なぜならば、通報してくれた男性が少しでもライフ・セービングの心得を持っていれば、もう少し早く処置が行えたかもしれない。誰もがライフセーバーであれば、こんな悲しい事故は減るのではないか…。そう考えたことが、今こうした活動を行っているきっかけになっています。


普及活動の現状


TJ:日体大ライフ・セービング部のOBは現在約100名いると聞いていますが、その人たちを通じ、教育現場やスポーツ指導の現場でどの程度ライフ・セービングは普及されましたか。

小峯:学校の授業の中では、ライフ・セービングそのものは、まだ取り上げられていません。しかし、道徳の時間等でライフ・セービング・スピリットを生徒たちに伝えられる機会はあり、ライフ・セービング活動は授業の題材にもなりやすい。人命の尊さを教えるのはまさに道徳教育の理念にマッチするわけで、そういう意味では、OBたちは自分たちがやってきたことを教育現場で活かせていると思います。また、学生時代に日本ライフ・セービング協会のインストラクター資格を取得した者は、少しずつですが勤務先の地域で講習会を開いて実際的な普及活動をしたりしています。

山本:今のところ日本でライフ・セービング活動は職業として成立しているわけではないし、オーストラリアのようにボランティア活動として認められ、皆がその活動に理解を示してくれているわけでもありません。ですから、先生のところを巣立った人たちが地域に根づいてライフ・セービングそのものを普及させていく、というのはまだまだこれからでしょうね。

小峯:そうですね。

山本:まずは、ライフ・セービングの知識や技術よりもそのスピリットを根づかせる。今はそういう時期かもしれません。そういう展開を通じて少しずつ環境づくりがなされ、次の段階として、海での安全確保という実際的なライフ・セービングが広まっていけばいいと思います。

小峯:はい。OBたちが社会に出始めて何年か経ち、ライフ・セービング活動がやっと彼らの周りの人たちから理解されてきたようです。「そんなに素晴らしいものがあるのか。それならやってみよう」という反応があり、最近では私のほうからも資料や機材を送ったりしています。普及に関してOBたちに言っているのは、「まずは自分に惚れさせなさい。自分がやってきたことをすべて話してそれに共鳴してくれる人たちをまずは集めなさい。そして、面白そうだからやってみようという人が出てくるのを待て」ということです。1人の力では限界があります。全くライフ・セービングを知らなかった人に興味を持ってもらって、その周りの人がまた共鳴して、というようにだんだんと輪が広がっていかないと普及していかない。時間はかかるが、周りが動き始めてくれないとだめなんです。

山本:我々がやっている大学でのトレーナー活動にも似たところがあって、これには報酬があるわけではないし、言ってみればボランティアです。しかし、なぜそういう活動が必要なのか、これにはどういう意味があるのか、ということをまず根づかせないと、現場で活動できないんです。ですからライフ・セービングと同じで、まずスピリットを根づかせ、次の段階で仲間づくりをしていくことが活動の基盤になっていく。


海浜実習、臨海学校の重要性

山本:ライフ・セービングの存在を知らしめ、普及を進めるという意味では、日体大の海浜実習で先生が毎年やっている活動も、その一助になってるでしょう。何百人もの学生が遠泳するとき、その周りをライフ・セービング・チームが取り囲んで救護体制を敷きますね。少なくともその実習に参加した学生たちは、ライフ・セービングに触れることができているわけですから、彼らが教員として教育現場へ行ったときに、その経験は何らかの形で活きると思う。

小峯:海浜実習の影響力はとても大きいと感じています。日体大は千葉県の岩井海岸でやるのですが、あそこには小学校から大学まで、ものすごい数の学校が実習に来ている。
 我々がレスキューボードやレスキューチューブを持ち出して実際に遠泳の監視活動を始めると、周りにいる他校の先生たちが集まってくるんです。そして「うちの学校でも取り入れてみたい。どうしたら取り入れられるのか」と聞いてきてくれる。図らずも、とてもよいデモンストレーションの場になっていたわけです。実際に、安全性の問題から海浜実習をもうやめようと考えていた学校が、ライフ・セービングを取り入れればできそうだ、と継続することになったという例もあります。
 臨海学校や海浜実習は年々減少してきています。安全性や事故に伴う訴訟問題等に対して過敏になるあまり、これらを避けようとする傾向になってきたようですが、子どもたちには早いうちにぜひとも海を知っておいてほしいと思います。たとえ海に面していないところに住んでいる子どもたちでも、夏休みにはどこかへ海水浴に出掛けるでしょう。そのときに海に関することについて少しでも教育されていれば、溺れてしまう危険性は減る。日本は四方を海に囲まれているのですから、海に関する知識と対応の仕方を早くから学ぶべきであり、小さい頃からその教育を施すためにも臨海学校等の実施は望ましいのです。そうすれば成人してから溺れる確率も減ってくると思います。
 ですから今後は、各地の臨海学校でライフ・セービングを紹介できればいいなあと思っています。頼まれればチームを組んで出掛けて行きます。

山本:学校教育における水泳実習のあり方を見直さなければならない時期に来ていると思います。特に将来体育の指導者になる人材を養成する体育系大学ではなおさらだと思うのですが、例えば私の大学(国際武道大学)では去年から水泳実習の一環としてライフ・セービングの講習会を取り入れて、単に遠泳などを行うだけでなく、人命救助活動を教えています。そうすれば彼らが卒業後、現場でその知識と技術を活かすことができると考えたからです。


溺れないための教育

TJ:体育大学では水泳実習は必修なのですか。

小峯:そうです。

山本:オーストラリアでは学校教育のなかで、海でどうやって身を守るか、あるいは人を助けるか、といったことを先ほどのスピリットを含めて教えていますね。だから大人になって海へ行ったときの危険性が随分減ってくる。

小峯:そう。オーストラリアは小学校の必修の授業でライフ・セービングを取り入れています。まず泳力を身につけさせ、次に人を助けるための技術を習得させる。ですから海での事故は起こりにくい。たとえ溺れても、すぐ近くにいる人が助けてくれます。海に来ている人全員がライフセーバーなのですから。また、救急車を呼ぶ前に何をしなければならないかを皆が知っているから、必然的に救命率が高まります。
 日本ではまだまだそういった知識が普及していないので、救急車が来ればドクターが来たのと同じような錯覚がありますね。119番に電話するということは誰でも知っているのですから、その前に何をすべきかもしっかり教えるべきだと思います。

山本:溺れないための教育は特に大事ですね。トレーナー的な知識や技術に関しても同じようなことが言え、例えばテーピングを覚えたいという学生は沢山います。でもテーピングをしなくてもよいように、ケガを起こさないためにはどうすればよいのか、という点について彼らは忘れがち。ですから、テーピング以前にケガの予防をまず考えなくてはいけないんだと、いつも口を酸っぱくして言っています。

小峯:学校の先生方を対象とした心肺蘇生法等の講習会を行うときには、必ず最後にひとこと言います。「歯を磨くのと同じように毎日練習することが必要です。しかし、練習した分だけ、気持ちのほうではこれを使う場面を絶対に起こしたらいけない、といつも肝に命じて下さい」と。技術を習得したことで逆に油断してしまい、事故が起こらないとも限らない。事故防止をいつも念頭に置いて下さいと強調するのです。


〔対談を終えて〕
 数年前、まだライフ・セービングを知ったばかりの頃、1枚のポスターに考えさせられたことがある。車椅子に乗りながら、パトロールキャップをかぶり、トランシーバーで応答している障害者のライフセーバーの姿。泳げなくても、走れなくても人に尽くす気持ちさえあればライフセーバーになれるのだ。「人のために尽くす」これこそライフセーバーの、あるいはアスレティック・トレーナーにも通ずる基本的なスピリットであることを常に忘れたくないものだ。
 小峯氏は、ライフ・セービングを単に水難救助活動のみにとどめず、人間形成の一助として、あるいは「心身ともに鍛える」原動力として役立たせたいと熱く語る。人に尽くす心、的確な判断のできる精神力、と同時にどんな場面にも対応できる肉体を持っていることが、ライフセーバーの理想だと彼は主張する。
 小峯氏は決して人には言いたがらないが、彼自身、既に40例近くの溺者に蘇生法を行った経験を持ち、数多くの生死を脳裏に焼き付けている。そんな彼だからこそ心から人を愛し、人に優しくなれるのだろう。今後様々な場面で、小峯氏の提唱するライフ・セービング・スピリットが、人間形成のための大きな意義を持ってくるに違いない(山本)。


©1992 Komine Tsutomu, Yamamoto Toshiharu
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