INDEX > 対談 > トレーナーの未来(下)どうなる?「日本のトレーナー」

ご注意ください。
内容は、掲載当時(1991年)のものであり、現在の状況とは異なる場合もありますので、あらかじめご了承ください。

出典:白木仁,山本利春:トレーナーの未来(下),どうなる?「日本のトレーナー」,Training Journal,14(1)
※ 役職は掲載時のもの。なお、連載当時(1991年)とは、現在の状況と一部異なっていることもありますので、あらかじめご了承おきください。
対談・現場的好奇心

トレーナーの未来(下)どうなる?「日本のトレーナー」

 

「日本におけるトレーナーのあり方」をテーマにお送りする対談の後編です。日本独自のスポーツ環境のなかで、トレーナー的なノウハウをどう普及させていくか。この問題について大いに語り合っていただきました。

 ゲスト/白木仁(筑波大学体育科系講師)
 聞き手/山本利春(国際武道大学体育学部助手)

しらき・ひとし
1957年生まれ。筑波大学体育専門学群卒業、同大学院修士課程体育研究科修了。筑波大学助手、名城大学講師等を経て今年4月より筑波大学体育科学系講師、陸上競技部ヘッドトレーナー。柔道整復師の資格も持つ。'85年、'87年のユニバーシアードにトレーナーとして参加。

やまもと・としはる
1961年生まれ。順天堂大学体育学部卒業、同大学院修士課程修了。現在、国際武道大学体育学部助手(スポーツ医学)。学生時代からトレーナー活動を行い、先頃行われた第3回世界陸上選手権では日本選手団のトレーナーを務めた。


 

アメリカヘ行くべきか

山本:トレーナー志望者の進路についてもう1つよく相談を受けるのは、アメリカに行くべきかという問題。この間もある教育大学の先生から相談を受けたんですけれど、4年生がアメリカに行くべきかと悩んでいると言うのです。日本にはトレーナーになるための勉強をする場所がないし、仕事もない。だからアメリカへ行って勉強をしたほうがいいのではないか、どうしたらいいのかと、聞いてきました。同じような質問を受けることは多分、白木さんも多いと思います。

 そういうとき、僕はこう言っています。例えばここに英語で書かれた本が1冊あるとしますね。運動生理学の本で、絶対に読まなければいけない教科書だとします。アメリカへ行って語学もままならないうちにこの本を読み進めようとすれば、すべて理解するのに何カ月かかるかわからない。ところがもし同じ本の日本語版があったとすれば、多分1、2日徹夜すれば全部読めますよね。ここで僕が何を言いたいかというと、まだまだ勉強しなければならない内容がいっぱい日本に残っているのに、何でもかんでもアメリカへ行って勉強すればいいというものじゃないということ。僕自身、解剖学、栄養学、運動生理学など沢山勉強しなければいけないことがあって、読まなければいけない本がいっぱいある。もしアメリカに行ってそれだけの量を読む時間があるかといったら多分無理です。だから日本でできるかぎりの、基礎的な勉強を十分に行って、「これは日本にはない」「日本でこれだけ勉強したけれども、やっぱり日本にはなくてアメリカにしかない」というものを見つけてからアメリカに行くべきだと思います。NATA(全米アスレティック・トレーナーズ協会)の資格を取りたいというのなら話は別ですが、トレーナーの勉強をしたいのなら、日本でやるべきことは沢山あるはずです。

白木:ここ数年じゃないですか。訳本なり、スポーツ医学関連の本がいっぱい出てきたのは。かなりいいですよ、内容は。あれらを読んでいても動向はわかりますし、アメリカへ行くのはそれからでも遅くないですよ、本当に。

 パッと行ってしまうのもいろいろよい面はありますか、僕も山本君の意見に大賛成です。まだやることがいっぱいありますよ。

山本:とにかくアメリカに行けば解決するみたいな考え方はよくないと思う。アメリカでNATAの資格を取って帰ってきた人も、悩んでいるんじゃないでしょうか。やってきたことすべてを活かせなかったり、逆に日本のほうが先に進んでいる面も多分あると思うんです。

白木:日本にも素晴らしいものが沢山あるということを知っておいて、「じゃあアメリカはどうかな」と見に行けば得るものも大きいんじゃないでしょうか。

山本:11月号、12月号で紹介されていますが、うちの研究生の尾方君がオレゴン大学でいろいろ見てきた(編集部注/1991年11月・12月号掲載「アメリカのトレーナーの深層を見る」参照)わけですが、彼の場合、「アメリカがこうなの?」と幻滅のようなものを感じて帰ってきた。武道大学でやっているメディカルチェックなり筋力評価などが向こうでどれだけ通用するのかを確かめる気持ちも彼にはあったのですが、それらに対する手応えはほとんどなかった。「だったら日本で勉強したほうがいいではないか」というくらいに感じたと言っています。彼はアメリカのほんの一部しか見ていないのですが、この例ひとつ取り上げてみても、日本がすべて遅れているとは限らないし、部分的には進んでいるかもしれないということがわかる。

白木:僕が10年前に始めた頃は訳本なんか全くなかった。タイトルに"Athletic Training"という文字の入った分厚い英語の本を見ても、書いてあることがよく理解できないんです。辞書で調べても出てこない。それがここ数年の間に訳本が沢山出てきたおかげで、わからないことは本を読めばかなりわかるようになってきた。だから「アメリカへ」と焦ることはない。

山本:トレーナーの勉強をしたいと思っている人が得られる情報は、今まではどちらかというと「留学するならこういう大学がある」「アメリカのトレーナーはこうだ」という類のものばかりでしたよね。それだけではなく、「日本で勉強するならこういう本を読みなさい」とか、「この部分はアメリカでしか勉強できない」といった具体的な指導をしてやる必要もあると思います。


 

結論の出ない資格・組織の問題

山本:今年(1991年)の6月にNATAの総会に行ってきたんですが、一番驚いたのは企画力のすごさです。例えば肩だったら、まず専門の先生が出てきて肩の解剖の講義を30分かけてみっちりやる。そのあと肩のバイオメカニクス、肩の理学療法、肩のトレーニング…、という具合にシリーズになっている。それも時間内で非常に内容の濃い話ができる先生をもってくるわけですよ。ああいう企画力ってすごいですね。日本にもNATAのような組織ができて、その組織が企画して講習会を開き、「こういう勉強をしたほうがいい。こういう勉強の仕方がある」と方向性を示してあげられるといいですね。“研究会”と称したりしてトレーナーが集まる組織はいくつかありますけれど、どうしても閉鎖的で、普及活動がまだ十分でないような気がする。

白木:話がずれるかもしれないが、トレーナーという職業は日本では公的に認められていない。もし国が資格を発行するようなことになれば、もっとトレーナーを取り巻く環境はよくなるでしょうけれど、そのように資格を与えるという方向がよいのか、それとも勉強会等を通じて各人が知識を身につけていくだけでよいのか、それがよくわからない。これは非常に難しい問題で、多分みんなが悩んでいることだと思います。

山本:この問題に関してはいろんな研究会で「トレーナー制度について」というタイトルでシンポジウムをしたり、パネルディスカッションを頻繁にやっていますが、どの会合でも結論が出ない。同じやりとりでいつも終わってしまう…。

白木:トレーナー仲間の中で、実力があると言いますか、いろんな経験を持っていて知識もかなり豊富で、技術的にも非常にうまいと言われる人は残っている。そういう人は、制度、資格がどうあれ、残っていくんじゃないでしょうか。どちらかというと職人肌の仕事で何千人も必要ないですからね。

TJ:今後もそうですか?

白木:多分今後もそうでしょうね。僕はそう思いますね。コーチという職があれば、多分トレーナーもできますよ。コーチという職業が非常に不安定な今の状態が続けば、このままいくのではないかな。


 

保健室をトレーナーズルームに

TJ:選手自身がコンディションを自己管理できるようになれば、トレーナーの仕事はグッと減ると思います。しかし自己管理を教えるためには、やはりトレーナー的な役割の人が必要になる。先ほど、普及の担い手として体育の先生というのが挙がりました(前号参照)が、中学生・高校生に自己管理を指導していくには、具体的にはどうすればいいのでしょうか。

白木:それが一番問題ですよね。僕は現在、トレーナーとして指導に当たっているわけですけれど、筑波大学へ来る前の3年間、ある私立大学に勤務していました。そこで陸上部のコーチをしたのですが、すごいジレンマがある。コーチをやりながら、トレーナーの知識がしっかり詰まっているものですから、「ここまでやっていいのかな」と常に自分の中で問答するわけです。中学や高校でも、大半は顧問の先生がコーチをしながらトレーナー的なこともやらなければならないのが現状ですが、多分両方うまくはやれないと思う。それができれば素晴らしいコーチですが、先生方は時間的な制約があってそこまで勉強できないでしょう。

 じゃあどうしたらいいのかと考えますと、養護教諭の方に勉強してもらうというのが1つの手なんですよ。必ず小・中・高校には養護教諭がいるわけですから。実はここ(筑波大学)にも若い養護教諭の人が勉強をしに来て、学校へ戻り各クラブの先生とうまくやりながら知識を広めていった例も実際にあります。この形が広がれば非常にいいと思いますが、問題が起こるとすれば養護教諭とコーチの関係がうまくいかなくなるケース。コーチの側が「あいつは生意気だ、俺の話を聞かない」という態度ではうまくいかない…。

山本:そうですね。その考え方は僕も同感です。養護教諭がトレーナー的な知識を身につけて現場に下りて行って、保健室をトレーナーズルームにしてしまえばいい。各クラブのマネージャーあるいはトレーナーを集めて保健室で勉強会をやる。テーピングを保健室で巻いて部活動に行かせるとか、ケガ人を連れて来る、あるいは製氷機を置いて氷を取りに来る。僕の大学の健康管理室的な役割を保健室がやって、そこを管理する養護教諭がヘッドトレーナーとしてやっていくのは非常に面白いですね。

 例えば日本体育大学の健康学科では養護教諭の免許が取れるんですよ。ですから、養護教諭の教育機関にもトレーナー的なノウハウを植えつけ、現場に下ろすということも可能だし、これからやっていかなければならない。何年か先にそういう知識のある人が保健室に下りていって、あとは先ほど白木さんが言われたように、各クラブの先生方とコミュニケーションを取りながらノウハウを浸透させていけばいい。

白木:それが一番いいかもしれません。養護教諭はかなり知識がありますしね。

山本:そうすれば先ほどの話とちょうどつながって、体育の指導者の卵が大学でトレーナー的な知識を身につけ、養護教諭が保健室でそういったことを実践すれば両者に接点が生まれる。コミュニケーションが難しいという問題を解決できる。お互いに必要性がわかっているから、つながるのではないでしょうか。

白木:ただ、養護教諭の仕事もいろいろあり、あの方々たちも忙しいのです。かなりの意欲を持ってやってくれる人が必要ですね。

山本:話を整理しますと、1つは保健室を利用して養護教諭がトレーナー的な役割を受け持つ。もう1つはコーチ的な役割を持つ体育の先生あるいはクラプの顧問の先生たちがトレーナー的な知識を持って現場に下りて、そういう裏付けを持ったトレーニングをしていく。さらにもう1つはマネージャー教育というものを展開していくと、かなり現場のニーズに応えた具体的なノウハウの普及につながる。


 

体育の先生以外は?

TJ:ちょっと疑問があります。高校ではともかく、中学校ですとクラブの顧問の先生が必ずしも体育の先生じゃない。むしろ他教科の先生である場合が多いと思います。そういう人たちは大学でトレーナー的な教育を受けられない。

山本:そういう人たちのために、教育の現場に下りてからの卒後研修のようなものを、例えば教育委員会レベルで開いていくとか…。

白木:それはすでに結構やっています。保健体育の先生だけでなく、クラブの顧問教師を集めた講習会がありますよ。

山本:そういえば、僕も講師で行ったことがあります。「部活動指導者講習会」というような名前のついた講習会です。

白木:そういう講習会で僕らを使ってくれるとうれしいですね。

山本:1回で終わりではなくて、そういったものをコースでやるといい。

白木:月に1回でいいから。

山本:教育委員会レベルで予算をしっかり取ってもらって、シリーズ形式でそれぞれの専門家を講師として招いて開いていけば…。

白木:参加するほうは大変かもしれないけれど、各教育委員会レベルでやれれば、問題はかなり解決する。実際僕らも講習会へ行くと質問攻めですよ。「私は体育が専門ではないんですが、こういうときはどうするんですか」「腕が外れたらどうするんですか」という、かなり現実的な質問ばかりです。

図1 「トレーナーに関する公的機関は必要か」という問いに対するアンケート結果。(『スポーツメディスン・クォータリー』第7号「日本の『トレーナー』現況調査1991」より)
アンケート結果1
必要かどうか N=105
アンケート結果2
「はい」の理由(複数回答) n=99


 

「日本のトレーナー」の今後

TJ:先日、本誌の姉妹誌『スポーツメディスン・クォータリー』で「日本のトレーナーの現状調査1991」という記事を掲載しました。現在トレーナーとして働いている人たちの意識が垣間見れ、とても有意義な調査だったと思いますが、この調査結果(図1)も踏まえて、日本におけるトレーナーはどうあるべきなのか。その辺の意見をお聞かせ下さい。

山本:アメリカのトレーナーの教育カリキュラムには、ありとあらゆることが網羅されています。ですからすべてのことを知って、できる人がトレーナーだという考え方ですね。しかし、今の日本の現状では、そんなオールマイティな人材がすべての現場に配置されるようになるには、まだまだ時間がかかる。だから現時点では現場でのニーズに対応して、その人の能力を発揮できれば僕はいいと思いますよ。

 筋力トレーニングが専門のトレーナーがいてもいいでしょう。その代わり、自分の不得意な分野はその道に長けた人に頼めばいい。鍼灸やマッサージなど治療的な分野を専門に勉強してきてトレーナーになる人は、自分の持ち分はそこだということを表に出して、「私はこういう分野のトレーナーなんです」というところを明らかにしたほうがいいんじゃないでしょうか。そうしないと現場のニーズとのすれ違いが起こる。「トレーナーだったらできるでしょう」ということで雇ったところが、実際にはリハビリのノウハウもわからない、医師との会話もできない、ケガをしても十分な応急処置もできない、結局マッサージとテーピングしかできなかった、ということになりかねない。アンケート結果にも載っていましたね。「スポーツ鍼灸師」「スポーツ柔整師」という肩書があってもいいのではという意見。ああいう考え方もうなずけるなと思いました。最近は「トレーナー」という言葉がいろいろな意味で使われ、人によってイメージするものが違っている状況もあるので、そのような肩書を作ってしまったほうが間違いが起きないかもしれない。

白木:そうだね。現場のコーチたちにとってはそのほうがわかりやすい。

山本:なるべく間違いをなくして、誤解のないように活動するためには、それぞれ自分の持ち分というのをしっかり認識して、それを表に出す必要がある。

白木:ただ現場でやっている人たちはある程度のレベルがほしいんじゃないですかね。例えばあるチームでトレーナーが入れ替わったときでも、引き継ぎがうまくできるためのある一定のラインがほしいのかもしれない。新しい人が前任者とは全然違うやり方をして受け入れられないという恐れもある。つまり、「まずここまでやるんだ」という一定レベルのものが必要なのかもしれないが、それが日本にはない。

山本:世界陸上にトレーナーとして参加した人のうち、僕以外の3人は鍼灸師の免許を持っていた。ですから、僕だけ鍼が打てない。選手が来て「鍼を打ってほしいのですか」と頼まれ、「いや僕は鍼を打たないから」と言うと意外そうな顔をする。選手たちもトレーナーは鍼を打てるものだと思っているらしい。

白木:そういう認識はあるね。

山本:選手・コーチの認識を統一する意味でも、「トレーナーというのはこういう知識が最低限必要なんだ」というものがいる。そのためにも、やはり資格制度も必要じゃないかと思います。

白木:その「最低限必要なもの」は多分、僕らが提供しなければいけないと思います。


 

〔対談を終えて〕

 一口にトレーナーと言っても、日本では様々な立場の人が「自称トレーナー」として活動しているわけであるから、今回の我々の対談内容に対しても賛否両論があると思う。ただ、「選手のために行うのだ」という現場の基本的な姿勢が最も大切であることを認識し、形式的な体制や理想論だけでなく、現実的にどうしたらよいのかを考えていく必要性があることを理解していただきたい。白木氏は去る4月から母校筑波大学に栄転し、いよいよ本格的にトレーナー教育に取り組むと言う。スポーツ医科学研究科という興味深いコースも設立され、今後の白木氏の活躍が楽しみである。

 今後もお互いに、ある意味では同じ体育系大学のライバルとして、より充実したトレーナー活動を目指して努力していきたいと思う。数年後には、国際武道大学にも大学院ができる予定であるが、そのときは是非、全国から集まる意欲的な学生とともに、日本のトレーナー活動のレベル向上に全力を尽くしたい(山本)。


©1991 Shiraki Hitoshi, Yamamoto Toshiharu

INDEX > 対談 > トレーナーの未来(上),どうすればトレーナーになれるか