ご注意ください。
内容は、執筆当時(2011年)のものであり、現在の状況とは異なる場合もありますので、あらかじめご了承ください。

国際武道大学ライフセービング部勝浦ライフセービングクラブの歩み


2011年12月23日
(文責:優勝祝賀会実行委員会)

国際武道大学ライフセービング部
勝浦ライフセービングクラブの発展は、
まさに日本ライフセービング協会の発展とも大きく関わっている!

“国際武道大学”と“勝浦”という2つのライフセービングクラブが、本年いずれも「全日本学生ライフセービング選手権」、「全日本ライフセービング選手権」において総合優勝を果たし、監督『山本利春』が宙を舞う姿を見ることができたのは、大学クラブ発足から25周年、勝浦ライフセービングクラブ発足15周年を迎える節目の年でした。四半世紀の歴史を重ねて来た悲願でもあったと言えます。しかし、その初めての優勝が決して頂点ではなく通過点のひとつであり、大切なことは“ライフセービング競技”で勝つことだけではないということを、出場した選手達や応援をしていた全ての関係者が一番よく理解しています。

 このすべての始まりは、外房勝浦に新設された国際武道大学で、西伊豆出身の教員で赤十字救急法指導員資格を持つ『山本利春』と湘南出身の学生で赤十字救助員資格を持つ『上野真宏』とが出会い、ライフセービングの普及の必要性で意気投合し、千葉県にも湘南と同じような活動を広めようと、学内外での活動を積極的に始めたことからでした。

「日本ライフガード協会」(本拠地湘南)と「日本サーフライフセービング協会」(本拠地下田)という2つの団体が「オーストラリア・サーフ・ライフセービング協会」の仲立ちによって、資格発行と指導者養成、国際的窓口を統一して行う評議組織「日本ライフセービング評議会(JLSC)」をつくり’85年片瀬西浜海水浴場で国内最初のサーフ・ライフセービング・セミナーを開催。オーストラリアのインストラクターによる直接指導のもと英語による講習会がおこなわれ、これに山本、上野が一緒に受講したことが最初の活動でした。本学の姉妹校である東海大学(湘南校舎と清水校舎(海洋学部))においても現在2つのライフセービングクラブがありますが、この最初の講習に参加した学生が中心となって、ほぼ同じ頃に活動をスタートさせました。’86年におこなわれた第1回全日本学生ライフセービング選手権大会では、その東海大(湘南)が総合優勝で国際武道大は第3位でした。学校単位でライフセービングクラブが存在するのは、世界的に見ても日本だけのことですが、この大会の開催と出場チームが牽引役となり他大学や専門学校にも、ライフセービングクラブが次々と発足することになっていきました。

 国際武道大学には開学当時から1年次に受講する「救急処置法」という必修授業がありますが、スポーツによるケガや傷害、急病の予防や応急手当から心肺蘇生(CPR)に関する内容の実習を伴った授業で、まさにライフセービングの基礎となる知識・技術を学ぶものでもあります。’91年からはさらに「ライフセービング」という授業も新設され、学生の多くが、命に向き合うことや“ライフセービング”に触れる機会をもった特色のある体育系大学であると言えます。

 また、’87年より継続して開催しているサーフ・ライフセービングセミナーは今年で25回目を迎え、第1回目よりベーシック&アドバンスコースを併設して実施しており、現在国内で開催される講習会の中で最も伝統のあるセミナーとなりました。JLAのインストラクター資格を取得した卒業生は15名以上おり、毎年勝浦でおこなわれている講習会はもちろんのこと、各地で活躍し積極的な普及活動をおこなっています。

 現在でこそ活動の拠点となっている地元 勝浦市の海水浴場ではありますが、「国際武道大学ライフセービングチーム」が監視・救助の実践活動を始めたのはチームが発足して5年ほど後のことでした(山本が勝浦市役所に足を運んだり、地元市民に説明をしていくことで少しずつチームの活動や、ライフセービングそのものの理解が得られていき実現したものでした)。勝浦市は当時より、国際的サーフィン大会を毎年誘致しマリンスポーツの普及に積極的に関わっていながらも、しばらくの間は、ライフセービングや海水浴場の安全体制について、私たちが一緒に活動を行うことにあまり意義や理解を頂くことができませんでした。しかしそれは千葉県内で海水浴場を開設する市町村の全てにおいて共通することでもあり、それらは日本の縮図と言っても過言ではありませんでした。

 多くの人にライフセービングを理解してもらい説得力のある説明をするためにも、当時から学術的な調査研究の裏付けをもってアピールしていくことや、メディアを活用していくことの重要性を感じていました。そのためにも千葉県全ての海水浴場の実態調査を行い、応急手当や救助に関わるノウハウのある人材がどれだけいるのか?救助救命器材はどんなものを使用しているのか?監視台や救護所などの安全関連施設の有無、緊急時の体制やシステムについてなどを調査研究の上、ライフセービングシステムの導入や必要性を提言する内容を、千葉県体育学会で上野、山本が発表をしました。これらは論文として「千葉県体育学研究」に掲載されています。「月刊トレーニングジャーナル」には第1回全日本学生ライフセービング選手権大会の様子を山本が投稿し「ライフセービング競技」が知られるきっかけともなりました。

 一方、bay-fmの朝の番組にメンバーがレギュラーで出演し海水浴場のコンディションや安全啓蒙に関わる情報発信などもおこないました。海浜での溺者救助における身体負荷強度について心拍数の変化から比較検討する貴重な研究実験をおこない、「RESCUE’92」ライフセービングシンポジウムで、山本が発表しています。’92年には「月刊トレーニングジャーナル」において1年間にわたって「ライフセービング」の特別連載もされ山本、上野が中心となって執筆を担当しました。

 20年という長い年月にわたり同一のライフセービングクラブ(部)の監督として指導し続けているのは『山本利春』の他には誰もいません。歴代のクラブメンバーのひとりひとりが競技指向だけに走らず、ライフセービングの本質をしっかりと捕らえ“ライフセービングスピリット”を体現する活動をずっと継承し続けて来ることができたのは、このような一貫した背景が伝統となっているからであると思います。本年その功績が認められ、JLAアワードとして山本に「教育賞」が授与されました。

 ’89年上野が日本ライフガード協会事務局長となったことで、神奈川県での「SURF90」開催を経て現在の「日本ライフセービング協会(JLA)」発足へとつながりました。また’91年JLAの発足後から現在まで、山本が学術研究委員会委員長など学術的分野の役割を担ってきたことと、山本の研究者として本来の専門分野であるスポーツ医学/コンディショニング科学に裏付けされる医科学的な情報発信をしてきことは、日本のライフセービング界全体にアカデミックな貢献をしています。ほかにも同大学院を修了した『佐藤洋二郎』(16期生主将)が2003年より国際武道大学ライフセービング部コーチを務め2006年からJLA事務局嘱託職員を兼任。『内田直人』(11期生、日赤神奈川県支部職員)も2009年より2年間JLA講習運営委員会委員長を務めています。

 千葉県でライフセービングを普及させようと始めた活動はいつしか日本のライフセービングの普及のためのものと重なっていました。山本は現在JLA副理事長/学術研究委員会委員長として、上野もJLAスーパーバイザー/指導委員会委員長として互いに後進の育成や普及活動など、日本のライフセービングの牽引役としてJLAの運営に関わっています。

 今回、日本ライフセービング協会の設立20周年を記念する大会でもあった「第37回全日本ライフセービング選手権大会」での「勝浦ライフセービングクラブ」の優勝は日本のライフセービングの歴史に刻む意義あるものとなりました。

 日本における長いライフセービングの歴史の中で、ライフセービングがオーストラリアからその根をおろした中心的な場所は、神奈川県藤沢市の片瀬西浜(湘南)と静岡県の下田市吉佐美区(伊豆)であり、日本のライフセービングの流れはこの2つの地から生まれ、発展したといっても過言ではありません。その日本のライフセービングの源流となる湘南を拠点とした団体と伊豆下田のを拠点とした団体がひとつになり、「日本ライフセービング協会」に統一されて20周年の本年、はじめて房総勝浦(千葉)の名前が初めて刻まれたのです。1975年から始まり昨年までで36回を数える全日本選手権の歴代優勝チームも、全て湘南地区(神奈川県)で活動するクラブと伊豆下田で活動するクラブが占めています。湘南と伊豆以外のクラブが全日本選手権で優勝したのは、いみじくも今回が初めてのことです。20年を経て、源流の流れはやっと、日本の3大海水浴場の伊豆・湘南・房総の3本の太い流れとなってつながったことになったかもしれません。

 震災直後、私たちライフセーバーは大震災の悲しみを記憶に刻み、「人」と「海」との架け橋となって水辺の事故ゼロを目指して歩んできました。ライフセーバーたちは、人の命を救うために自らの体を鍛え、競い合うことでお互いを高めあい、「人のために尽くす」精神を持ち続けながら、その気持ちをこれからも引き継いでいきます。

 「国際武道大学ライフセービング部」そして「勝浦ライフセービングクラブ」は、四半世紀の第1ステージを終え、これから新たなステージに向かってスタートを切りました。今後とも多くの方々のご支援とご指導を頂きながら進んで参ります。

国際武道大学ライフセービング部/勝浦ライフセービングクラブのはじまり
<草創期の10年〜今まで>

’84年 国際武道大学 開学
  『上野真宏』(1期生)赤十字水上安全法講習会(於:片瀬西浜)に参加し救助員資格取得。日本ライフガード協会(以下JLGA)会員となる。

’85年 『山本利春』(現:教授/医学博士:部長兼監督)が体育学部スポーツ医学研究室助手に着任。
   山本、上野が日本ライフセービング評議会(以下JLSC)の開催する国内第1回の「Surf Lifesaving講習会」(於:片瀬西浜)に参加し、国際ライフセービング連盟「World Life Saving」認定「Basic Lifeguard」(現在のBasic Surf Lifesaver)資格取得。二人で県内での普及活動と学内で有志を集め始める。

’86年 学内有志メンバー1期生 上野、『高橋伸一』、『阿部真二』、『山崎博樹』と 2期生『石井徳久』『佐久間真』の6名の学生とで「国際武道大学ライフセービングチーム (IBU Lifesaving Team)」発足。14名にメンバーを増やし第2回「Surf Lifesaving講習会」湘南セミナーに参加。1シーズン不動堂・真亀海水浴場(九十九里町)のライフガードとして活動。
「国際武道大学ライフセービングチーム」 JLGAクラブ会員となる。
  第1回インターカレッジ・ライフセービング・チャンピオンシップス(現:全日本学生ライフセービング選手権大会)に出場。5校7クラブ9チーム 総合3位。(東海大湘南、日本大、国際武道大、専修大、拓殖大、東海大海洋学部、日本大農獣医学部)インカレ開催に伴い上野は大会役員となり、1期生9名のうち、出場選手の中から互選により初代主将を山崎が努める。
  国際武道大 屋内プール完成。学内で赤十字水上安全法講習会を開催。(山本及び学生約20名が救助員資格取得)
  千葉県で初めてとなるレスキューボードを(山本の最初のボーナスで)購入。
  勝浦、白子、和田浦ほかでRescueのデモンストレーションを行う。  

’87年 JLSC主催IBU LST協力 Basic & Advanced Surf Lifesaving講習 千葉セミナーを大学及び勝浦部原海岸を会場に開催(以後毎年定期開催)。講習会レポートを「月刊トレーニングジャーナル」に投稿掲載。 
   千葉県内の全海水浴場(及び開設自治体)の安全管理体制の実態調査を行う。
   JLGAより上野が新島村へ派遣される。2期生 佐久間(新島出身)とともに伊豆七島での本格的ライフセービングの基礎を作る。
  「第13回ジャパン・インタークラブ・ライフセービング・チャンピオンシップス」(現:全日本ライフセービング選手権)に出場。参加28チーム 総合8位。(優勝 白浜、2位 西浜、3位 東海大 )※大学チームで参加したのは 東海大、国際武道大、拓殖大の3校のみ
  第2回インカレに出場 5校6クラブ12チーム 総合3位。
  『小野寺史彦』 ランスイムラン 優勝  サーフレースリレー 優勝
   (東海大 湘南、日本体育大、国際武道大、東海大 海洋学部、拓殖大、日本大)
      学内で赤十字救急法講習会を開催(以後毎年定期開催)
    2期生5名の中から主将は『中西 純』(現:国際武道大准教授)が努める。

’88年 1期生卒業 上野 スポーツ医学研究室研究生となりコーチに就任。
  ’87年の調査研究を上野、山本が千葉県体育学会で発表(千葉県体育学研究に論文掲載)しライフセービングシステムの必要性を県内外にアピールする。
   若潮祭(大学祭)にてライフセービング展示会を行い市民及び学内にアピール。
   SLSAJ主催 第1回全日本ライフセービング室内選手権大会参加 総合4位。
     姉妹クラブ 千葉ライフセービングクラブ設立(代表:上野) JLGA登録。
   JLGA千葉県支部設立のため設立準備委員会発足。 
  第14回ジャパン・インタークラブ・ライフセービングチャンピオンシップ参加。
   26クラブ47チーム 総合28位。(優勝 日本体育大、2位SLSAA、3位西浜)
   ※大学チームで参加したのは日本体育大、東海大、拓殖大、国際武道大の4校 
  第3回全日本学生ライフセービング選手権大会参加 総合6位。8校9クラブ20チーム(日本体育大、東海大、早稲田大、成蹊大、国際武道大、東海大海洋学部、専修大、中央大、法政大) 
  3期生8名の中から主将を『小野寺史彦』が務める。 

’89年 国際武道大学プールの夜間一般開放での監視業務を開始する。
  上野 オーストラリア研修(Australian International Youth Lifesaving Training Camp)に参加、全豪各地のサーフライフセービングクラブから集まった 若きリーダーと共に訓練を受ける。帰国後JLSC Surf Lifesaving インストラクターとなる。同研修を参考にして日本版の「Youth Lifesaving Training Camp」を企画立案し、JLSC主催 「第1回ライフセービングリーダーズキャンプ」開催。
 上野 JLGA事務局長/JLSC評議員に就任。
  4期生2名の中から『斉藤一美』が女性初の主将となる。

’90年 国際武道大学学友会に「ライフセービング同好会」として承認される。
   山本 JLSC Surf Lifesavingインストラクターとなる。
   神奈川県で「相模湾アーバンリゾートフェスティバル1990(SURF90)」が(4~10月)開催され、上野(社)SURF90協会ライフセービング事務局を兼任。 
   「SURF90 パンパシフィック・ライフセービングチャンピオンシップス」開催。
   「SURF90 ライフセービングシンポジウム開催」 
   上野 JLGA「ライフセーバー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。

’91年 「日本ライフセービング協会」(以下JLA)発足(JLGA、SLSAJ、JLSC解散)。山本 JLA技術局学術研究委員長に就任。
   上野 JLA事務局次長兼事業部長、技術局指導委員会副委員長に就任。
   国際武道大学ライフセービングチーム『小野豊』(5期生主将)を中心に勝浦の2つの海水浴場(中央海水浴場、串浜海水浴場)で監視・救助活動が始まる。
   (初日7月23日重溺発生、CPRを施行するが溺者死亡 壮絶な始動となる)
    「国際武道大学ライフセービング同好会」が「国際武道大学ライフセービングクラブ」としてJLAクラブ会員登録。
   日本武道館研修センターにて日体大LSCと合同でCPRコンテスト大会を行う。
   地元 勝浦市出身『高梨三千尋』(8期生主将)入学。
   市民との良好な関係構築が進む。

’92年 第3回ライフセービング世界大会「RESCUE’92」(於:下田)開催。
   インタークラブ・ライフセービング世界選手権大会 初出場。
   『村上公代』 女子2kmビーチラン 5位
   『中山大介』 男子50mマネキンレスキューレース 6位 
   『坂本静男』国際武道大学助教授(現早稲田大学教授)日本代表チームドクターとして帯同。山本 日本代表チームトレーナーとして帯同。
  「RESCUE’92ライフセービングシンポジウム」開催、坂本、山本 研究発表を行う。 上野 RESCUE’92実行委員会事務局を担当。
   千葉テレビ「いきいきヤング」でクラブの活動が紹介され『島村芳崇』(7期生 主将)、『小川正義』(同副主将)がスタジオ出演する。
  ASP丸井プロサーフィン選手権部原大会 Water Patrol(IRB)を担当する。
 

’93年 国際武道大学学友会に加盟承認され「ライフセービング部」正式発足(山本 監督に就任)。
   Bay-fm番組「ライフセービング・インフォメーション」にて夏期外房地区のビーチコンディションを毎朝生放送でリポートする。

’96年 勝浦市の6つの全海水浴場の安全管理業務を担当する。「国際武道大学ライフセービング部」を母体として、在学生を中心としながら大学卒業生と学外のメンバーを受け入れて活動する地域クラブ「勝浦ライフセービングクラブ」(代表:山本)がスタートする。

’97年 人命救助活動が認められ勝浦警察署より感謝状を授与される。
  重溺者をCPRで蘇生させ千葉県警察本部より表彰を受ける。

’98年 海浜での監視・救助など事故防止のための(地域貢献)活動が認められ、ライフセービング部が松前スポーツ・文化奨励賞を受賞する。

’00年 勝浦市内の小学校で小学生を対象に水の安全に関する講習会をスタートする。
  第7回世界大会「RESCUE2000」(シドニー)山本 日本代表チームトレーナーとして参加。 

’01年 「日本ライフセービング協会」 NPO法人となる(山本 理事就任)。
  大学授業に「ライフセービング(含実習)」(担当教員:山本)が新設される。 

’02年 勝浦市内で「ジュニア・ライフセービング教室」をスタートする。
  全日本学生ライフセービング選手権大会 CPRコンテスト優勝(以後3年連続優勝)
  第6回ワールドゲ-ムス(秋田)山本 日本代表チームトレーナーとして参加。

’03年 『佐藤洋二郎』(16期生主将) ライフセービング部コーチに就任。
  全日本ライフセービング選手権大会 『青野武史』(18期生)ランスイムラン優勝(翌年も2連勝)

’04年 全日本学生ライフセービング選手権大会 男子総合2位

’06年 佐藤 JLA事務局嘱託職員となる。
  勝浦市守谷海岸で第4回千葉県ライフセービング競技会(BOSO CUP)開催
  勝浦初のライフセービング競技会をホストし大会運営および広報を担当する。
  全日本ライフセービング選手権大会 勝浦 ビーチリレー 優勝
  世界大会「RESCUE’2006」(オーストラリア)日本代表選手として青野が出場。

’08年 『内田直人』(11期生)JLA教育部講習運営委員会委員長(~’10)となる。
  全日本学生ライフセービング選手権大会 男子総合3位 女子総合6位

’09年 全日本学生ライフセービング選手権大会 男子総合2位 女子総合7位

’10年 上野 JLAスーパーバイザーとなる。JLA教育部指導委員会委員長就任。
  御宿町ウォーターパーク(プール)の夏期安全管理業務の受託をスタートする。
  全日本学生ライフセービング選手権大会 男子総合2位 女子総合6位

’11年 「Surf Lifesaving講習会 勝浦セミナー」 開催25回を迎える。
  国際武道大学ライフセービングクラブ 発足25周年を迎える。 
  全日本学生ライフセービング選手権大会 男子総合優勝 女子総合準優勝
  勝浦LSC 全日本ライフセービング選手権大会 初優勝
  1位勝浦LSC 75点、2位下田LSC 74点、3位西浜SLSC 73点
  (3位まで各チームの得点差はわずか1点という僅差)
  山本 JLAライフセービングアワード2011「教育賞」を受賞。